暮らしのチカラ-心を豊かにする環境問題-

Vol.1 後半 総合地球環境学研究所
      副所長・佐藤 洋一郎さん
      哲学者・鞍田 崇さん

日本人の心に響く原風景

地球研の施設設計は、風景に溶け込む低層・京都の景観と違和感のない瓦葺きの建物で、人と建物と自然が一体となって交流できる場所として中庭が配置されるなど、その研究方針を体現するかのように、さまざまな要素が有機的につながる空間になっています。

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自然とお話も、日本人が“潜在的に持つ風景への思い”がテーマに…

 鞍田:大分県で見た里山の風景、そこにきれいな棚田が広がっているんですね。収穫の直前で、稲を遠くからみると皆垂れてきて、丸いんですよ。ランドスケープアートよりもよっぽどキレイに空間がデザインされているようで、美しいなあって思いました。里山を安易に美しいというのはあかんぞ!といわれるけど、これはやっぱり文化だなと感じましたね。
「人が手を加えているから生まれる美しさ」、本来の自然では有り得ない風景ですよね。人為的な風景のはずなのになぜか懐かしさを感じる、あれは何なんでしょうね?人が手を加えて作り上げたものは素朴に美しいんですよね。その究極にあるのが「花」だと思うんです。

鞍田:日本において“花”というものは一瞬一瞬で変わって行く世界。本当に微妙な一日一日の移ろいも見逃さない。“季節感”なんて大雑把なものではない。「花」に象徴される、そんな微細な自然のすがた、僕らは本当は日常的に見ているはずなんですよね。実際は見過ごしているし、見過ごしていることにも気づかないけれど…
だからといってそれに気づくために田舎へ行けばいいのかってことでもないと思うんです。


新宿でもどこでも、電線ばっかりが遮っているようなところでも、空はやっぱりキレイなんです。これは、自然に原風景を覚えるということではなく、「懐かしさ」っていうことかもしれないけど、育った土地や思い出の場所、こういう風景の中に感動できることが大切だと思います。ごみごみした都会の景色に根っこを見失ってしまう時もありますが、だからと言って、田舎に出かけて「やっぱり自然はいいね~」と言って解決するような単純な発想ではないと思うんです。むき出しの自然に人間は対応できないですしね。

 

温室効果ガス、25%削減ってどうやるの!?どうなるの?

鞍田:リアルに、これからどうしたらいいか、ということを示して行く求心力のある場所を提供して行くことが大切だと思っています。いまではエコはあたりまえの時代。特に20,30代の若い人たちはいわば環境シンパで、経済活動を多少犠牲にしてもよいと思っている傾向も見られています。だからこそ、エコがおしゃれだからとかではなく、本質的な部分から考えてほしい。

鞍田:例の鳩山さんの「25%削減目標」、経済界を始め動揺が走っていることは確かですが、これを良い機会にするべきですよね。前原さんのダム問題も、ただ「止め!」って言うだけではなく、ダム建設を中止した後の地域のあり方について提案があればね…たとえば、新しいエコライフや、農業や景観が守られる観光地として「里山復活」など、近代的なこれまでの発想の延長はやめて、時代の変化を見据えたある種の社会像や田舎像を提起するんだ!というような提案があれば、住民の方々も理解があったのではないか…というのは夢物語ではあるけれども、25%削減についてももっとビジョンがなければ、先がどうなるのか見えない人たちに本質的な共感は持たれないですよね。

佐藤:そう、25%削減については多くの人が賛成…だけれども、「どうするの?」が見えない。反対はしていないけれども、みんなが外野席にいて見ているのはもったいないですね。
鞍田:技術革新だけではなく、アートや宗教でもアイデアは出せるはずで、そこに思想的なストックはあるはずなんですよね。その合流によってじわじわとムーブメントが起こせるのでは?と思います。

佐藤:環境問題について国家観がないなどと意見が出ているけれど、そうしたものはこんな平和に来た時代の中では難しくて、何か危機感がなければ生まれないでしょう。そうした意味でも、今この環境問題は新しい価値が生まれる良い機会になるかもしれないですね。

 

豊かの尺度・今を生きる人の選択。

他人事に思いがちな環境問題ですが、生活者ひとりひとりが考える時、その視点はどのようなところに置くべきなのでしょうか?

鞍田:一機にとんかちでたたくみたいな効果はないかもしれないけど、生活者というか、生活している感覚を共有しあいながら考えていく場、というのは絶対に大切だと思います。

佐藤:生活そのものにリアリティが希薄な時代で、経済と環境は負の相関ができてしまっていますね。
キーワードとしては“肩のこらない環境”“辛気臭くない環境”ではないでしょうか?
あれもダメ、これもダメでは生活が窮屈でしょう。もっと根源的で、リアルな生活感から「今晩のご飯は何にしよう?」だったり「スーパーにいくときには腹がいっぱいの時にいけ!」こんな単純なことも希薄になっていくことが、食べ残しの問題に繫がったりするものです。
良くわかりもしないのに「米はコシヒカリがいい!」という、それこそ本質的な問題だと思いますね。その背景にあるのも経験の希薄化。体験が伴っている人が触れるのはいいけれど、未熟な人まで過剰なグルメの情報で疑似体験してしまう…大量生産の食文化からの生活改善が必要ですね。

鞍田:同じように、モノへの愛着も希薄になっていますよね。食文化でもそうですが、昔のように、おばあちゃんから母へ、母から私にと受け継がれなくなっても、受け継がないなりに勉強をすればいい。気に入ったモノを大切に使ったり、好きな人に自分の作ったものを食べさせたい!って気持ちがとても大切だと思います。モノや自然、空間、時間への愛着、「愛おしい」という気持ちは見失わずに持ち続けていたいですね。

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鞍田:環境の話は耳に心地のよい話をする人はいるけれど、今は「環境問題」に関する思想が大きく変わっていく頃かなと思います。掛け声だけではなくて、さらに一歩踏み込んで、実感されることが必要とされる時代にきています。

佐藤:環境問題は生活者ひとりひとり、今を生きている人の選択の問題です。これを、いい時代に生きていると思っても、何か行動してみることが大切ですね。

環境問題を全体ではなく私事で捉えてみること。潜在的に持つ自然への愛情や長い歴史の中で培われてきた生活文化、至るところに日本人として大切にしていきたい価値観があることに改めて気が付きました。風景を愛でること、モノを大切にすること、人を愛すること…ひとりひとりが、感性を研ぎ澄まして生きることこそ、環境問題に向き合うことなのかもしれません。
いつの日か東京でも、地球研の皆様をお招きして「環境思想セミナー」離れの集いを開催できればと、現在構想中です。この続きを、一緒に考えて行きませんか?

< 鞍田崇さんプロフィール>
1970年生まれ。京大文学部哲学科卒業、同大学院人間・環境学研究科博士課程退学。専門は哲学、環境思想。日本学術振興会特別研究員を経て、2006年より総合地球環境学研究所 (地球研) 勤務。現在、同研究所上級研究員。

地球研で企画を務める 「人と自然:環境思想セミナー」 は2007年6月にスタート、2010年5月でシリーズ第30回を数える。暮らしの“かたち”を問いなおすという視点から、農業からアートまでさまざまなジャンルを手がかりに、環境問題の思想的意味を吟味している。
主な著作としては、『ユーラシア農耕史 3 』(編著 ・ 臨川書店)、『新版 古寺巡礼 32   高山寺』 (共著 ・ 淡交社) 。翻訳書に 『雰囲気の美学』 (晃洋書房)、絵本 『たべることは つながること』 (福音館書店) など。

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